遠くの島、徳之島

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牛が好き! - 徳之島「島生活」

牛は稲作の広がりとともに、弥生時代に朝鮮半島経由で日本に持ち込まれたという説が有力ですが、その裏付けとされているのは、東京都港区の弥生時代中期の遺跡、伊皿子貝塚で見つかった牛の頭の骨で、和牛の祖先の骨で最も古いとされています。

一方、近畿以西の縄文・弥生時代の遺跡から牛の骨は見つかっておらず、5世紀以降の地層などからの出土数が多くなるため、朝鮮や中国大陸からの渡来人が牛の管理技術とともに家畜としてもたらしたという説が学者らによって唱えられています。

徳之島で発掘された古代の遺跡では、獣骨としてイノシシの骨は出土するものの牛骨は見つかっていないため、島に牛が導入された時期は交易などのあった地域との関連から推測せざるを得ないため、日本に持ち込まれた牛がどのように広まったかという点から考察します。

古来に持ち込まれた牛は、乳牛や肉用牛として品種改良された現在の牛とはずいぶん異なる事が分かります。非常に興味深いのが、鎌倉時代後期の1310年(延慶3年)に寧直麿によって描かれた「国牛十図」です。西は筑紫から北は越後まで10種の優れている産地牛を紹介するもので、黒や褐色の毛色を持つ牛、島では「パンダ牛」と呼ばれる牛に近いような白黒斑を持つ牛も描かれています。

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国牛十図に描かれた牛(奥州市牛の博物館・黒澤弥悦氏著「モノが語る牛と人間の文化」より)

牛は稲作の広がりとともに、弥生時代に朝鮮半島経由で日本に持ち込まれたという説が有力ですが、その裏付けとされているのは、東京都港区の弥生時代中期の遺跡、伊皿子貝塚で見つかった牛の頭の骨で、和牛の祖先の骨で最も古いとされています。

一方、近畿以西の縄文・弥生時代の遺跡から牛の骨は見つかっておらず、5世紀以降の地層などからの出土数が多くなるため、朝鮮や中国大陸からの渡来人が牛の管理技術とともに家畜としてもたらしたという説が学者らによって唱えられています。

徳之島で発掘された古代の遺跡では、獣骨としてイノシシの骨は出土するものの牛骨は見つかっていないため、島に牛が導入された時期は交易などのあった地域との関連から推測せざるを得ないため、日本に持ち込まれた牛がどのように広まったかという点から考察します。

古来に持ち込まれた牛は、乳牛や肉用牛として品種改良された現在の牛とはずいぶん異なる事が分かります。非常に興味深いのが、鎌倉時代後期の1310年(延慶3年)に寧直麿によって描かれた「国牛十図」です。西は筑紫から北は越後まで10種の優れている産地牛を紹介するもので、黒や褐色の毛色を持つ牛、島では「パンダ牛」と呼ばれる牛に近いような白黒斑を持つ牛も描かれています。

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国牛十図に描かれた牛(奥州市牛の博物館・黒澤弥悦氏著「モノが語る牛と人間の文化」より)

全国では、岩手県久慈市(旧山形村)、新潟県長岡市(旧山古志村)と小千谷市、島根県の隠岐の島、愛媛県の宇和島市と南宇和郡、沖縄県の本島と石垣島、与那国島でも闘牛大会が行われていますが、それら全国6県の中でも「徳之島が一番熱い」と言われます。

その理由として、愛牛のためにどのような労力もいとわない牛主の情熱、闘牛ファンの熱狂ぶりはもちろん、島民にとって身近な存在として長い間連綿と引き継がれてきたことなどが上げられますが、徳之島闘牛に関する資料が乏しく、起源や歴史については不明な点が多いのも確かです。

全国の闘牛所の中でも最も古い歴史持つとされるのが、島根県隠岐の島の闘牛(牛突き)で、承久の乱(承久3年・1221年)に敗れ、隠岐の島に流された後鳥羽上皇が、角を突き合わせている小牛に興味を持たれたことから、上皇を慰めるために始めたのを起源として790年の歴史を誇ると謳っています。

では、それ以外の地域では闘牛はなかったのでしょうか?日本には稲作の広がりとともに、弥生時代に牛が朝鮮半島経由で持ち込まれたという説が有力です。そこで調べてみると、国宝で日本最古の漫画とも称される「鳥獣人物戯画」の中に「争う牛」、つまり「闘牛」が描かれているのが分かりました。

鳥獣人物戯画(乙)同画は人間をカエルに例え滑稽な姿で歌い踊っている絵が教科書にも引用され知られているが、それらには甲・乙・丙・丁の全4巻あり、様々な動物の生態が描かれている乙巻の中に見ることが出来ます。その成立は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてとされているので、800年程前には、闘う牛の姿を見る事ができたということではないでしょうか。

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闘牛場に響き渡る歓声。鳴り響く太鼓やラッパ…何故に徳之島の人々は、これほどまでに闘牛に熱狂するのか?私が徳之島で闘牛大会を観戦するようになったのは、平成5年から。闘牛の「と」の字も知らなかったのが、その魅力にどっぷり浸かり、インターネットを通じた情報発信までするようになりました。

それは、徳之島闘牛ならでは迫力、牛と勢子(闘牛士)が一体となって繰り広げる攻防。その一挙手一投足を見つめ、熱い声援と視線を送る人々の姿にあると感じます。

大会には700kg台の小型牛から1トンを越える大型牛が揃い踏みし、直径約20メートルのリング内でぶつかり合いを展開します。幼児から高齢者まで、島内人口の一割を超える3,000人余りの老若男女が詰めかけ、突き技や角掛け、懐に飛び込んでの速攻など技の応酬に熱狂し、好勝負や激戦になればなるほど、指笛とともに場内からの歓声も響き渡ります。勝利の瞬間、声援を送っていた応援団が場内になだれ込み、我を忘れたように手舞や足舞で歓喜する姿は圧巻です。

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何故?ここまで!徳之島の人々は闘牛に熱狂するのか?全国でも「最も熱い!」と言われる徳之島の闘牛について、このブログを通じて考察して行きたいと思います。