遠くの島、徳之島

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牛が好き! - 徳之島「島生活」

これまで、「闘牛」と言うとスペインなどで行われているような人間対牛の闘いに対するイメージが圧倒的に強いと言えます。

TVなどで見るのは、派手な衣装で着飾った「マタドール」と呼ばれる闘牛士がムレータ(赤い布)を翻し、突進してくる暴れ牛を左右にいなしながら剣や槍を使ってダメージを与え、牛の攻撃を上手く交わす度に歓声が上がり、見事に牛を仕留めれば大きな拍手が送られるもの。

更には、TVのハプニング映像特集で闘牛士が牛を避け切れずに中に舞い上げられるシーンが放映されるなど、「牛は人間を狙って来る」「赤い物に向かって行く」などの誤った認識が広まったのではないでしょうか。

Bull Fight
牛と人が闘うスペインの闘牛(動画投稿サイトYouTubeより)

未だに、徳之島へ闘牛の取材に来るマスコミ陣から「赤い服は危ないですよね?」「牛が人に向ってきませんか?」などと真顔で聞かれたりすることもあります。その度に、「牛は色盲だと言われています。布に向かうのは、ひらひら動くからだそうです」「スペインでは、棒で叩くなどして人に敵がい心を持つように飼育するそうで、牛の育て方が全く違います」と答えています。

一方、牛同士が闘う闘牛に対する認知度は低く、国内で闘牛が行われている全国6県でも、開催地を離れると「あるらしい」とか、「聞いたことがある」程度の認識でした。

ところが近年では、徳之島に限らず各県の闘牛がマスコミで取り上げられる事が多くなり、牛と牛が闘う「闘牛」の認知度は格段に増したと感じます。特に沖縄では、対戦開始前にダンスショーやキャラクターショー、祭り闘牛が入場料無料で開かれるなど、観光資源として活用しようとする動きが強くなっています。

ところで、かつては「国技」として人気を博したスペインの闘牛ですが、動物愛護の観点から批判が強まり、人気低下と共に開催数が減ってTV中継が終了するなど、衰退傾向が強まっていると聞きます。

日本の闘牛に目を向けると、認知度が高くなった事により、闘牛を見たいとの要望から2~3組程度の稽古闘牛を披露するケースがオフシーズンに見られるようになり、闘牛大会に限らず、牛の散歩や飼育の様子を見たいと言う観光客も増えています。

闘牛が身近にある我々は、車でドライブ中に散歩する牛を見かけたら、スピードを落として追い越し、むやみに近づかないものですが、観光客にはそのような感覚が無いようです。車を止めて写真を撮り、牛舎の横に繋いでいる牛に平気で触り、角を掴んで写真を撮るような強者もいました。

このような認識の変化を意識すべきと感じています。長年闘牛を飼育している先輩方は「どんなに大人しい牛も“畜生”である以上、注意を怠るな」と言います。観光客には、危険が伴うことを伝え警告をすべきです。闘牛が身近にあるからこそ、闘牛の飼育者や関係者に限らず、我々住民も十分配慮する必要があると思います。

そのような古来の牛の姿を現在でも留めているとされるのが、山口県萩市の見島のみで飼育されている「見島牛」と鹿児島県トカラ列島の口之島に残る「口之島牛」で、見島牛の産地は国の天然記念物に指定され種の保存と継承に取り組んでいるそうです。

02mishimaushi古来の姿を留める「見島牛」(山口県農林総合技術センター畜産技術部のホームページより)

口之島牛は、島で放牧していた牛が明治以前(大正初期とする説もある)に野生化したもので、体高はオスでも120cm程度で現在の牛より随分小さい事が分かります。

03kuchinoshimaushi野生牛に近い「口之島牛」(名古屋大学大学院の設楽フィールドのホームページより)

口之島牛に限らず、トカラ列島では野生に近い状態で牛が放牧されるため、小柄ながら足腰が丈夫で気性も荒いとして、徳之島にも長年に渡って“十島産”が闘牛として導入されており、大型牛隆盛の現在ではその頭数こそ減っているものの、多くの名牛が活躍してきました。

牛は稲作の広がりとともに、弥生時代に朝鮮半島経由で日本に持ち込まれたという説が有力ですが、その裏付けとされているのは、東京都港区の弥生時代中期の遺跡、伊皿子貝塚で見つかった牛の頭の骨で、和牛の祖先の骨で最も古いとされています。

一方、近畿以西の縄文・弥生時代の遺跡から牛の骨は見つかっておらず、5世紀以降の地層などからの出土数が多くなるため、朝鮮や中国大陸からの渡来人が牛の管理技術とともに家畜としてもたらしたという説が学者らによって唱えられています。

徳之島で発掘された古代の遺跡では、獣骨としてイノシシの骨は出土するものの牛骨は見つかっていないため、島に牛が導入された時期は交易などのあった地域との関連から推測せざるを得ないため、日本に持ち込まれた牛がどのように広まったかという点から考察します。

古来に持ち込まれた牛は、乳牛や肉用牛として品種改良された現在の牛とはずいぶん異なる事が分かります。非常に興味深いのが、鎌倉時代後期の1310年(延慶3年)に寧直麿によって描かれた「国牛十図」です。西は筑紫から北は越後まで10種の優れている産地牛を紹介するもので、黒や褐色の毛色を持つ牛、島では「パンダ牛」と呼ばれる牛に近いような白黒斑を持つ牛も描かれています。

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国牛十図に描かれた牛(奥州市牛の博物館・黒澤弥悦氏著「モノが語る牛と人間の文化」より)

牛は稲作の広がりとともに、弥生時代に朝鮮半島経由で日本に持ち込まれたという説が有力ですが、その裏付けとされているのは、東京都港区の弥生時代中期の遺跡、伊皿子貝塚で見つかった牛の頭の骨で、和牛の祖先の骨で最も古いとされています。

一方、近畿以西の縄文・弥生時代の遺跡から牛の骨は見つかっておらず、5世紀以降の地層などからの出土数が多くなるため、朝鮮や中国大陸からの渡来人が牛の管理技術とともに家畜としてもたらしたという説が学者らによって唱えられています。

徳之島で発掘された古代の遺跡では、獣骨としてイノシシの骨は出土するものの牛骨は見つかっていないため、島に牛が導入された時期は交易などのあった地域との関連から推測せざるを得ないため、日本に持ち込まれた牛がどのように広まったかという点から考察します。

古来に持ち込まれた牛は、乳牛や肉用牛として品種改良された現在の牛とはずいぶん異なる事が分かります。非常に興味深いのが、鎌倉時代後期の1310年(延慶3年)に寧直麿によって描かれた「国牛十図」です。西は筑紫から北は越後まで10種の優れている産地牛を紹介するもので、黒や褐色の毛色を持つ牛、島では「パンダ牛」と呼ばれる牛に近いような白黒斑を持つ牛も描かれています。

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国牛十図に描かれた牛(奥州市牛の博物館・黒澤弥悦氏著「モノが語る牛と人間の文化」より)

全国では、岩手県久慈市(旧山形村)、新潟県長岡市(旧山古志村)と小千谷市、島根県の隠岐の島、愛媛県の宇和島市と南宇和郡、沖縄県の本島と石垣島、与那国島でも闘牛大会が行われていますが、それら全国6県の中でも「徳之島が一番熱い」と言われます。

その理由として、愛牛のためにどのような労力もいとわない牛主の情熱、闘牛ファンの熱狂ぶりはもちろん、島民にとって身近な存在として長い間連綿と引き継がれてきたことなどが上げられますが、徳之島闘牛に関する資料が乏しく、起源や歴史については不明な点が多いのも確かです。

全国の闘牛所の中でも最も古い歴史持つとされるのが、島根県隠岐の島の闘牛(牛突き)で、承久の乱(承久3年・1221年)に敗れ、隠岐の島に流された後鳥羽上皇が、角を突き合わせている小牛に興味を持たれたことから、上皇を慰めるために始めたのを起源として790年の歴史を誇ると謳っています。

では、それ以外の地域では闘牛はなかったのでしょうか?日本には稲作の広がりとともに、弥生時代に牛が朝鮮半島経由で持ち込まれたという説が有力です。そこで調べてみると、国宝で日本最古の漫画とも称される「鳥獣人物戯画」の中に「争う牛」、つまり「闘牛」が描かれているのが分かりました。

鳥獣人物戯画(乙)同画は人間をカエルに例え滑稽な姿で歌い踊っている絵が教科書にも引用され知られているが、それらには甲・乙・丙・丁の全4巻あり、様々な動物の生態が描かれている乙巻の中に見ることが出来ます。その成立は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてとされているので、800年程前には、闘う牛の姿を見る事ができたということではないでしょうか。

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闘牛場に響き渡る歓声。鳴り響く太鼓やラッパ…何故に徳之島の人々は、これほどまでに闘牛に熱狂するのか?私が徳之島で闘牛大会を観戦するようになったのは、平成5年から。闘牛の「と」の字も知らなかったのが、その魅力にどっぷり浸かり、インターネットを通じた情報発信までするようになりました。

それは、徳之島闘牛ならでは迫力、牛と勢子(闘牛士)が一体となって繰り広げる攻防。その一挙手一投足を見つめ、熱い声援と視線を送る人々の姿にあると感じます。

大会には700kg台の小型牛から1トンを越える大型牛が揃い踏みし、直径約20メートルのリング内でぶつかり合いを展開します。幼児から高齢者まで、島内人口の一割を超える3,000人余りの老若男女が詰めかけ、突き技や角掛け、懐に飛び込んでの速攻など技の応酬に熱狂し、好勝負や激戦になればなるほど、指笛とともに場内からの歓声も響き渡ります。勝利の瞬間、声援を送っていた応援団が場内になだれ込み、我を忘れたように手舞や足舞で歓喜する姿は圧巻です。

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何故?ここまで!徳之島の人々は闘牛に熱狂するのか?全国でも「最も熱い!」と言われる徳之島の闘牛について、このブログを通じて考察して行きたいと思います。